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2009.01.15
ごんちゃんのエッセイ
【私と社会教育 〜開かれた学びへ〜】
教育人間科学部3年に在籍している、権藤由貴恵です。フグで有名な山口県出身です。
記事は、自分の20年余りの人生を振り返るなかで発見した社会教育について書きました。この記事を読んだみなさんが「なんだ、社会教育ってこんなに身近なものだったんだ!」と感じてくれたら幸いです。
*社会教育主事との出逢い
「社会教育主事」という言葉を知ったのは、大学3年生になってからでした。それまで、その名をなんとなく耳にしたことはあったものの、その資格を取得すれば何ができるかといった具体的な知識は、まったくといっていいほどもっていませんでした。そんな私がなぜ社会教育の世界に飛びこんだのか。それはあまりに単純な理由からでした。仲の良い友人がその資格任用科目を受講しており、その話を友人からよく聞いてました。それがなんとなく楽しそうに思えたことと、取れる資格はなるべく取っておこうという私の欲張りな性格とが作用して、2007年度の4月に社会教育主事の資格任用授業メンバーに仲間入りを果たしました。このようにちっぽけなきっかけではありますが、こうして私と社会教育とは出逢ったのです。
*社会教育って何だろう? 〜「ほっとなまちづくりプロジェクト」をとおして〜
授業では様々なことを学びました。そこでわかったのは、社会教育が、その対象者と共
にその内容においても大変広範囲にわたる学びを指し、マイノリティの人の居場所作りのために学びと定義されるということも知りました。在日韓国・朝鮮人など、特にエスニック・マイノリティについて書かれた文献を輪読してその内容を要約し、さらに自らの考察も交え授業仲間と討論を重ねました。なかなか骨の折れる作業でしたが、依然として私の「社会教育観」はぼんやりとしたままでした。
しかし、「社会教育とは何か?」この疑問が晴れる転機が晴れるまで、あまり時間はかかりませんでした。その転機となったのが、保土ヶ谷区の「ほっとなまちづくりプロジェクト」でした。理論だけでなく実践を積むことで次第に「社会教育」の輪郭がはっきりしてきたのです。
「ほっとなまちづくりプロジェクト」とは、区からの助成を受け、学生が主体となって区内の福祉に貢献するべく企画・運営をするというものです。そこで私たち授業メンバーが考案したプロジェクトは、「知らなきゃそんじゃろ、保土ヒーロー」と「おとどけプロジェクト」の2本立てでした。内容を簡単に説明すると。前者は区内のヒーローを探し出してインタビューを行い、それをウェブ上で区内に住む人々にむけて発信するというもの。後者はある芸に光る腕をお持ちの方を区内の福祉施設に「おとどけ」し、施設に入居されている方や来館者、ひいてはスタッフの方々にも喜んでもらうというものです。
両者に共通しているのは、これらの活動をとおして、人と人とのつながりが生まれるということです。つまり私達はそのパイプ役となってwin&winの関係を作り出す役割を担っているのです。
*ここかしこに溢れる社会教育 〜日常生活にしみこんだ学び〜
さて、現在私が「こたつでみかん」の仲間たちと一団となって取り組んでいる活動について説明したところで、いよいよ本題に入るとしましょう。私がこの記事をとおしてみなさんにお伝えしたいことは、「社会教育」が身近な学びであるということでした。そして私自身、「社会教育って何だろう?」という問題意識をもつようになって初めてそのことに気付きました。これまでの人生を振り返ってみると、「あれも社会教育だったのかもしれない。
じゃああれも……」とキリがないくらいです。社会教育はここかしこに溢れ、そのフィールドは私たちの日々の生活の中にまで及んでいるのです。今回はその中でもと特に印象深かったできごとについてお話したいと思います。
*初めてのボランティア活動 〜すべての人を楽しませることの大切さ〜
中学校3年生だった2001年夏、地元山口で「きらら博」が開催されました。その4年後の2005年、名古屋で開催された「愛・地球博」ほど知名度が高いわけでもなく、こぢんまりとしたものでしたが、私にとっては特別な意味をもつものでした。私はそこで初めてボランティアというものを体験したのです。しかしながら、きっかけは説明するのも憚れるようなものでした。半年後に高校受験を控えていた私と友人は、内申点を稼ぐために、スタッフとして参加することに決めた、という経緯でした。
その頃の私の「ボランティア」に対する認識は実に単純なもので、「他人から言われてやるのではなく、自らの意志に基づいて行うものである」ということと、「報酬としてお金をもらわない」というものでした。そして私は、「ボランティア」という言葉に対して崇高なイメージを抱いていました。なので、自分の動機は不純ではないかと、自責の念に駆られたくらいでした。
車椅子とベビーカーの貸し出し。それが私に課せられた仕事でした。利用者もしくはその付き添いの人にフォームに記入してもらい、車椅子やベビーカーを貸し出す。ひたすらその単純作業の繰り返し、しかも炎天下という状況が災いして、私はすぐに疲れてしましました。このままじゃ身がもたないと、暑さはともかく、どうにか飽きのこない方法を探そうとしました。そこで私は来場者を観察して楽しむことにしたのです。地元の人々はこのイベントを心待ちにしていたのでしょう。予想を上回る数の人が訪れたといいます。貸し出しテントへも、次から次へ利用者の方がやって来ました。私は仕事の合間を縫って人々の流れを目で追いました。そこにはお年寄りから小さな子ども、障害をもった人など、様々な人がいました。出典団体数などの規模からして、「万博」というには及ばないイベントでしたが、来場者の多様性という点に関しては千差万別。まさに「万博」と呼ぶにふさわしいほどの多様性がそこにはありました。そして、年代やその他様々な違いを超えて人々を惹きつけるこのイベントにボランティアスタッフとして参加できたことに喜びを感じるようになりました。私がやっている車椅子・ベビーカーの貸し出しは、すべての人がこのイベントを楽しむための助けになっているのだということに気付いたのです。逆に、このようなサービスがあるからこそ、安心してアクセスできるのだと思いました。その多様な人々が、世界各地の料理やその他民芸品などをとおして異文化に触れ、数々の企業が出展する、それぞれに工夫を凝らしたパビリオンを見学することによって、様々な価値観に触れたり、環境問題について危機意識を強めたりするのです。そういった意味で「きらら博」は誰もが知への欲求を満たせる学びの場であり、「すべての人に開かれた学び」という点て、社会教育に通じるものがあったのだと感じました。
当時の私にはまだ「社会教育」という概念がありませんでしたが、その「社会教育」プロフェッショナルを目指してる今振り返ってみれば、「きらら博」で私が得た経験はまさに社会教育そのものだといえそうです。ここでは一つのエピソード、しかもそれを「ボランティア」と銘打ったばかりに、少し敷居の高い話と捉われたかもしれませんが、決してそんなことはありません。最初にお伝えしたように、社会教育がいかに身近な存在であるということがこの記事のテーマであったのですが、抽象化していえば、「人と人をつなぐ学び」が「社会教育」であるというのが私なりの解釈です。そしてそのためには、「開かれた学び」が必要なのです。学校・会社の行き来だけで1日が終わってしまうという生活は、なんとも寂しいものでしょうし、実際そのような人はほとんどいないはずです。休日は近所の図書館や美術館、博物館に足を運んでみたり。また、子どもにとって動物園や水族館は大好きな場所です。それら私たちが普段何気なく利用している場所こそ、すべての人が知や感性を共有できる場所としての役割を果たしているのです。
教育人間科学部3年に在籍している、権藤由貴恵です。フグで有名な山口県出身です。
記事は、自分の20年余りの人生を振り返るなかで発見した社会教育について書きました。この記事を読んだみなさんが「なんだ、社会教育ってこんなに身近なものだったんだ!」と感じてくれたら幸いです。
*社会教育主事との出逢い
「社会教育主事」という言葉を知ったのは、大学3年生になってからでした。それまで、その名をなんとなく耳にしたことはあったものの、その資格を取得すれば何ができるかといった具体的な知識は、まったくといっていいほどもっていませんでした。そんな私がなぜ社会教育の世界に飛びこんだのか。それはあまりに単純な理由からでした。仲の良い友人がその資格任用科目を受講しており、その話を友人からよく聞いてました。それがなんとなく楽しそうに思えたことと、取れる資格はなるべく取っておこうという私の欲張りな性格とが作用して、2007年度の4月に社会教育主事の資格任用授業メンバーに仲間入りを果たしました。このようにちっぽけなきっかけではありますが、こうして私と社会教育とは出逢ったのです。
*社会教育って何だろう? 〜「ほっとなまちづくりプロジェクト」をとおして〜
授業では様々なことを学びました。そこでわかったのは、社会教育が、その対象者と共
にその内容においても大変広範囲にわたる学びを指し、マイノリティの人の居場所作りのために学びと定義されるということも知りました。在日韓国・朝鮮人など、特にエスニック・マイノリティについて書かれた文献を輪読してその内容を要約し、さらに自らの考察も交え授業仲間と討論を重ねました。なかなか骨の折れる作業でしたが、依然として私の「社会教育観」はぼんやりとしたままでした。
しかし、「社会教育とは何か?」この疑問が晴れる転機が晴れるまで、あまり時間はかかりませんでした。その転機となったのが、保土ヶ谷区の「ほっとなまちづくりプロジェクト」でした。理論だけでなく実践を積むことで次第に「社会教育」の輪郭がはっきりしてきたのです。
「ほっとなまちづくりプロジェクト」とは、区からの助成を受け、学生が主体となって区内の福祉に貢献するべく企画・運営をするというものです。そこで私たち授業メンバーが考案したプロジェクトは、「知らなきゃそんじゃろ、保土ヒーロー」と「おとどけプロジェクト」の2本立てでした。内容を簡単に説明すると。前者は区内のヒーローを探し出してインタビューを行い、それをウェブ上で区内に住む人々にむけて発信するというもの。後者はある芸に光る腕をお持ちの方を区内の福祉施設に「おとどけ」し、施設に入居されている方や来館者、ひいてはスタッフの方々にも喜んでもらうというものです。
両者に共通しているのは、これらの活動をとおして、人と人とのつながりが生まれるということです。つまり私達はそのパイプ役となってwin&winの関係を作り出す役割を担っているのです。
*ここかしこに溢れる社会教育 〜日常生活にしみこんだ学び〜
さて、現在私が「こたつでみかん」の仲間たちと一団となって取り組んでいる活動について説明したところで、いよいよ本題に入るとしましょう。私がこの記事をとおしてみなさんにお伝えしたいことは、「社会教育」が身近な学びであるということでした。そして私自身、「社会教育って何だろう?」という問題意識をもつようになって初めてそのことに気付きました。これまでの人生を振り返ってみると、「あれも社会教育だったのかもしれない。
じゃああれも……」とキリがないくらいです。社会教育はここかしこに溢れ、そのフィールドは私たちの日々の生活の中にまで及んでいるのです。今回はその中でもと特に印象深かったできごとについてお話したいと思います。
*初めてのボランティア活動 〜すべての人を楽しませることの大切さ〜
中学校3年生だった2001年夏、地元山口で「きらら博」が開催されました。その4年後の2005年、名古屋で開催された「愛・地球博」ほど知名度が高いわけでもなく、こぢんまりとしたものでしたが、私にとっては特別な意味をもつものでした。私はそこで初めてボランティアというものを体験したのです。しかしながら、きっかけは説明するのも憚れるようなものでした。半年後に高校受験を控えていた私と友人は、内申点を稼ぐために、スタッフとして参加することに決めた、という経緯でした。
その頃の私の「ボランティア」に対する認識は実に単純なもので、「他人から言われてやるのではなく、自らの意志に基づいて行うものである」ということと、「報酬としてお金をもらわない」というものでした。そして私は、「ボランティア」という言葉に対して崇高なイメージを抱いていました。なので、自分の動機は不純ではないかと、自責の念に駆られたくらいでした。
車椅子とベビーカーの貸し出し。それが私に課せられた仕事でした。利用者もしくはその付き添いの人にフォームに記入してもらい、車椅子やベビーカーを貸し出す。ひたすらその単純作業の繰り返し、しかも炎天下という状況が災いして、私はすぐに疲れてしましました。このままじゃ身がもたないと、暑さはともかく、どうにか飽きのこない方法を探そうとしました。そこで私は来場者を観察して楽しむことにしたのです。地元の人々はこのイベントを心待ちにしていたのでしょう。予想を上回る数の人が訪れたといいます。貸し出しテントへも、次から次へ利用者の方がやって来ました。私は仕事の合間を縫って人々の流れを目で追いました。そこにはお年寄りから小さな子ども、障害をもった人など、様々な人がいました。出典団体数などの規模からして、「万博」というには及ばないイベントでしたが、来場者の多様性という点に関しては千差万別。まさに「万博」と呼ぶにふさわしいほどの多様性がそこにはありました。そして、年代やその他様々な違いを超えて人々を惹きつけるこのイベントにボランティアスタッフとして参加できたことに喜びを感じるようになりました。私がやっている車椅子・ベビーカーの貸し出しは、すべての人がこのイベントを楽しむための助けになっているのだということに気付いたのです。逆に、このようなサービスがあるからこそ、安心してアクセスできるのだと思いました。その多様な人々が、世界各地の料理やその他民芸品などをとおして異文化に触れ、数々の企業が出展する、それぞれに工夫を凝らしたパビリオンを見学することによって、様々な価値観に触れたり、環境問題について危機意識を強めたりするのです。そういった意味で「きらら博」は誰もが知への欲求を満たせる学びの場であり、「すべての人に開かれた学び」という点て、社会教育に通じるものがあったのだと感じました。
当時の私にはまだ「社会教育」という概念がありませんでしたが、その「社会教育」プロフェッショナルを目指してる今振り返ってみれば、「きらら博」で私が得た経験はまさに社会教育そのものだといえそうです。ここでは一つのエピソード、しかもそれを「ボランティア」と銘打ったばかりに、少し敷居の高い話と捉われたかもしれませんが、決してそんなことはありません。最初にお伝えしたように、社会教育がいかに身近な存在であるということがこの記事のテーマであったのですが、抽象化していえば、「人と人をつなぐ学び」が「社会教育」であるというのが私なりの解釈です。そしてそのためには、「開かれた学び」が必要なのです。学校・会社の行き来だけで1日が終わってしまうという生活は、なんとも寂しいものでしょうし、実際そのような人はほとんどいないはずです。休日は近所の図書館や美術館、博物館に足を運んでみたり。また、子どもにとって動物園や水族館は大好きな場所です。それら私たちが普段何気なく利用している場所こそ、すべての人が知や感性を共有できる場所としての役割を果たしているのです。
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